「みんなと同じ」が学ぶ力になったー短時間登校後に変わった学習との向き合い方

成長記録

こんにちは。hug-mamaです。

前回、学校生活が少し落ち着いてきた頃に見えてきた、友達との関わりという新しい課題について書きました。

短時間登校のその後ー発達特性のある子の友達関係で見えてきた新しい課題
発達特性のある長男の学校生活が少し落ち着いてきた頃、今度は友達との関わりで新しい課題が見えてきました。「また問題が起きた」のではなく、成長したからこそ出てきた課題。親として向き合った記録です。

今回は、同じ時期に変わってきた「学習面」について書きたいと思います。

以前、長男の学習の遅れについてお伝えしたことがあります。

▶︎【「理解が早い」と言われていたのに—発達特性のある長男の見えにくかった学習の遅れ】

あの頃の学習は、「遅れを取り戻す」ためのものでした。

でも今は、少し違う形になってきています。

先生と「選べる」ようになった

短時間登校に慣れてきた頃、先生とのやり取りに変化が出てきました。

その日の調子に合わせて、先生が選択肢を示し、長男が選ぶ。

そんなやり取りができるようになってきたのです。

実は、家庭ではずっとやってきたことでした。

「AとBどっちにする?」と選択肢を示して、本人が選ぶ。

長男には合っている方法でした。

でも学校では、それが難しい時期が続いていました。

不安定な時間が長く、一度崩れると立て直しに時間がかかる。

だから先生も、本人が嫌がるかもしれない選択肢を示すことに慎重にならざるを得なかったのだと思います。

学習に誘うという、学校では当たり前のことすら、簡単ではなかった。

それができるようになったのは、長男に余裕が戻ってきた証拠でした。

タブレットのルールを見直した

もうひとつ、大きな転機がありました。

タブレットです。

荒れていた時期、学校でのタブレットは、長男が落ち着くための道具になっていました。

気持ちを切り替えるためには必要だったと思います。

ただ、その中で、学習とは関係のない使い方が増えていた部分もありました。

短時間登校を始めるタイミングで、担任の先生から「学校本来のタブレットの使い方に戻したい」という提案がありました。

学習ツールに絞る、ということです。

これには、長男が強く反発しました。

本人からすれば、楽しみを取り上げられる話です。

当然だと思います。

ただ、我が家ではもともと、タブレットやゲームの使い方にルールを設けていました。

長男の熱中しやすさを考えると、必要なことだと考えていたからです。

学校でだけ自由に使えるという状態は、長い目で見て本人のためにならない。

そう判断して、家庭で時間をかけて話をしました。

本人なりに納得できるところまで話し合った上で、学校でのタブレットの使い方を学習中心に切り替えました。

「友達と同じ単元」が動機になった

すると、思いがけない変化が起きました。

学習用のタブレット教材を使うようになったことで、クラスの友達と同じ単元に取り組めるようになったのです。

長男は、1年生のごく初期を除いて、学習はずっと個別対応が中心でした。

みんなと同じことを、同じ場所でやる。

その経験自体が、久しくなかったのです。

友達と同じ単元をやっている。

そのことに本人が気づくと、それ自体が学習の動機になりました。

遅れている単元を追いかけたり、前に戻ったりしながらも、「単元に沿って学ぶ」というやり方が回り始めました。

教材にはゲームのような要素もあり、勝負事が好きな長男には合っていたようです。

頑張って学習する。

友達より自分が先に進んでいる単元があるとわかる。

それが自信につながる。

そんな好循環が生まれました。

「自分はバカなんだ」と思っていた

この変化が大きかった理由が、もうひとつあります。

みんなと一緒に学べていなかった時期、

「自分はみんなみたいに勉強できていない。バカなんだ」

そんなふうに、自分を低く見てしまっているところがありました。

理解する力はあるのに、比べる相手も、一緒に取り組む場もない。

そのことが、本人の自己評価を下げていたのだと思います。

「友達と同じことに取り組める」というのは、学習の進度だけの話ではありませんでした。

「自分もみんなと同じようにできる」という感覚を取り戻すことでもあったのです。

うまくいかない日もある。でも

今でも、遅れている単元にイライラしたり、前にやった内容を忘れていて崩れそうになったりすることはあります。

でも、少しずつ「こんなこともある」と受け止められるようになってきました。

イライラした時には、一旦その場を離れる。

絵を描く。

図書館に行って落ち着く。

自分で「立て直す方法」を選べるようになってきています。

ガラス越しに見えた姿

先日、学校に少し早めに着いたことがありました。

教室の前まで行くと、ガラス越しに長男の姿が見えました。

友達と談笑しながら、楽しそうに笑っていたのです。

学年が上がってからは、一人で過ごす姿ばかり見てきました。

だからその笑顔を見た時、胸がいっぱいになりました。

邪魔をしないように、廊下でしばらく待ちました。

あの笑顔は、

「勉強ができるようになった」から見られたものではありません。

安心して学校にいられるようになり、

友達と同じ時間を過ごし、

同じことを学べるようになった。

その積み重ねの先にあった笑顔でした。

長男の学びは、まだ途中です。

でも私はあの日、

学力以上に大切なものが育ち始めているように感じました。

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