家族で向かい合った「診断までの壁」。温度差・葛藤・支え合いの記録。4歳児クラス④

成長記録

こんにちは。hug-mamaです。

 我が家の子どもたちは最近、ベイブレードにハマっています。数年前にも人気だったと聞いていたのですが、最近はアニメなんかがあって、また流行っているようです。

 サンタさんへのお願いも次第に固まりつつあるようですよ。「早くお手紙書かないと、締め切られちゃうよ〜」と催促してます笑

 ところでベイブレードって、「ベーゴマ」が所以なんですってね。私はベーゴマもベイブレードも一度もやったことがありませんが、昭和の遊びがカッコよくなって令和でも親しまれるなんて、夢のある話ですよね。

家族の葛藤に向かい合った記録

 さて、前回は、市の心理士による発達観察に至る経緯やその頃の本人の様子などについてお伝えしました。

 今回は、診断に至るまでの家族の葛藤や長男の安心できる学校生活を支援するために必要な加配保育士の配属に向けた準備についてお伝えします。特に家族との連携は、今に至るまで本当に重要で、葛藤を繰り返しながら協力体制を築いてきました。

夫婦の温度差に戸惑いながらも、支え合う関係へ

 長男のために「できることはなんでもやろう」と早々に夫婦で決めましたが、私は正直、最初は夫との温度差を感じていました。

 淡々として冷静な夫に対し、私は長男に起こることを自分のことのように感じていました。焦りや申し訳なさ、早くなんとかしなければという気持ちで追い詰められていたように思います。

 フルタイムで仕事をし、家庭では家事育児に追われる中で、長男のパニック対応に戸惑い、疲弊する毎日。その中でネットでの検索や書籍を読み漁ることを続けていました。

 当時、私の疑問にぴったりと合う情報はなかったのですが、それでも「何かヒントになれば」とインプットを続けていました。夫以外にはなかなか相談できず、抱え込むことが増え、気づけば視野もどんどん狭くなっていたのだと思います。

保育士の母との距離感に悩む。ありがたいのに苦しい気持ち

 実は私の母は保育士で家も近かったので長男が生まれてからは二日に一度は仕事終わりに遊びに来るような日々を過ごしていました。それまでも子どもたちの成長の様子を一緒に見守ってくれていたので、長男の様子に悩み始めて当初は、当然のように色々と相談していました。ただ、そのことが段々、私を苦しくさせていきました。

 というのも私はもともと、真面目で完璧主義的なところがあり、これまでの育児も自分ではうまくやれていると思っていました。それなのに、長男の様子や園でのトラブルには毎日右往左往し、うまく対処できない日々。

 困っている長男をうまく導けないことに、私自身がすごく落ち込んでいたのです。

 そんな中、母からは早い段階から園と相談をすることや医療や公的機関とつながることを勧められていました。当初は私たちなりに対応できると思っていたこともあり、様子を見る期間がありました。

 ただ、その間も長男の状況は良くならず…。パニックになる長男の姿を目の当たりにした母と話していた時、私はプレッシャーに耐えられなくなりました。限界でした。

 胸に溜まっていたものが、一気に溢れ出してきたのだと思います。つい、「私と夫が長男の親だから、少し黙って見守っていて欲しい。困った時にはまた相談するから」と言ってしまいました。でもすぐにそのことに対してまた落ち込むという状態。完全に一人でドツボにハマっていました。

 今思うと、母はこれまでに見てきた、たくさんの子どもたちの様子と孫の様子を見て何か感じるところがあったのだと思います。さらに母の方も保育士としての知識や経験を共有してなんとかしてあげたいという気持ちと、孫を心配する気持ちが合わさって私の対応の不足を指摘しがちだったのだと思います。

冷静すぎる夫にモヤモヤ。でも、実は大きな支えだった

 一方、夫との温度差については、当初は「なんで私と同じように心配したり色々と調べたりして悩みをシェアしてくれないんだろう」と思っていました。

 ただ、夫は夫なりに長男本人をよく観察して、パニックになるとき「何がトリガーになっているのか」「何がこの子を不安にさせているのか」「どうすれば安心してパニックを収められるのか」を考え、長男へのアプローチとして行動してくれていました。

 さらに、園や市との会議などでは、冷静に長男の様子を伝え、欲しい支援について話してくれました。その上で必要な手続きの具体的な手順の確認、支援を得られるまで家庭で取り組めることへのアドバイスを乞うなどを冷静に行ってくれました。

 当事者意識が強すぎてうまくまとめられない私に変わって、しっかりと話を前に進めてくれる頼もしい存在でした。

 それ以降、支援会議などの重要な会議の時は、「今日はうまく伝える自信がないから、パパがよろしくね」などと助けを求めています。

 アプローチは違っても、長男を思う気持ちは同じなんだ。そう気づけたことは、本当に大きいものでした。どちらも長男に寄り添って対応したいと思い、行動を続けられたことは、夫婦の絆や家族の土台を強くし、その後の心の支えになりました。

 そしてこの気づきは、後に関わってくださる先生方や支援者の方々の言葉からも、何度も実感することになります。

「なんでもやる」と決めた後に立ちはだかった診断と加配申請の壁

 発達観察後の会議の日の私の日記には、「何があっても長男を愛している。できることはなんでもやる!」という宣言文が載っています。

 この会議で一番の課題として認識された次年度の加配を申請するには、役所への申請を行う必要がありました。そのための条件の一つであり最大の関門は、医師による診断でした。しかも次年度の加配保育士の可否を決める役所の会議に間に合わせるためには、約1カ月後までに書類を揃えなければなりません。

 翌日から早速、市の心理士からもらった小児精神科のリストをもとに、予約の電話を片っ端からかけました。しかし、どこも予約はいっぱいで、早くても初診まで1〜2カ月待ち、そもそも新規予約を停止しているところも複数ありました。

 HPなども確認した上で良さそうな病院は全て新規予約停止中で、第三候補までの院は毎月決まった日に電話で数件のみの新規申込を受け付けているということでした。

 予約開始日まで待って運よく予約できたとしても、そこから初診日まで1カ月以上待つことになります。実際、予約開始日が近かった2つの院で電話予約に挑戦してみましたが、いずれも結局、予約は取れませんでした。

 加配の申請期限があったため、納得いく病院にこだわり続けるのはむしろリスクと割り切り、最終的には県立の療養センターの受診予約を取りました。

 当初ここも、予約日までに時間があくとのことでしたが、現在の長男の様子や市、園との調整事項などを話してどうしても加配のための申請を行いたいと相談したところ、特別に早めの枠に入れてくださいました。公立病院だったことも、事情を加味してもらえたところかと思います。

 次回は、初めての受診についてお伝えします。長男へどう説明するか、また次の悩みが出てきました。

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