小児精神科初診までの3つの壁と支援につながるまでのリアル〜長男の“心の悲鳴”に気づくまで〜 4歳児クラス⑤

成長記録

こんにちは。hug-mamaです。

 今週は全国的にかなり寒くなったようですね。地震の心配もあり、不安な状況が続きます。大きな被害がなく安心して過ごせる日が早く戻ることを祈ります。

 我が家では災害が起きたときの家族の合流場所について、いくつか想定して家族で話してあります。一度話して終わりではなく、色々な場面を想定して共有し続けたいです。

診断までの道のりに立ちはだかった新たな課題

 さて、前回は、長男の診断に至るまでの家族の葛藤や本人が安心できる学校生活を支援するために必要な加配保育士の配属に向けた動きと、家族の協力体制構築についてお伝えしました。

 小児精神科医院のリストを一つずつ当たり、やっと初診予約を取ることができました。
しかし、受診まではまだまだ乗り越えなければならないハードルがありました。
 今回は、その時期の長男の心の変化と合わせてお伝えします。

初診までにクリアすべき3つの壁。

 病院予約をとるだけでも大変でしたが、その後も初診までの間にクリアしなければいけない課題がいくつもありました。大きなものだけで以下のようなものがありました。

1.小児科のかかりつけ医に小児精神科への紹介状を書いてもらう

2.市の障害児保育審査会に参加する(次年度加配の必要性を市が判断するための審査会)

3.本人に受診や審査会のことを伝える

 基本的に園、市、医療機関などとの連携は親を真ん中にして連絡帳や電話などアナログな方法で調整する必要がありました。平日日中に調整する必要もあったことから、仕事にも影響させないことは難しく、当時の上司には事情を説明し、一時的に電話で席をはずすことなどに対して理解してもらっていました。

 この時期は正直にいうと仕事にあまり集中できませんでした。同時に「いつかキャリアを捨てる日が来るかもしれない」と何度も頭をよぎりました。それはまた、別の機会にお伝えします。

 職場に迷惑をかけることに申し訳なさも感じつつ、一方で長男の混乱は毎日続いています。1日でも早く、必要な支援が受けられるようにという思いで必死でした。

 次年度からの加配保育士を配置してもらえれば、この子の大変さが少し和らぐかもしれないー。少しでも早く、という思いで動き続けました。

検査や受診について、本人になんて言う?

 受診に際して、長男本人にどう伝えるかはかなり悩みました。

 検査や審査会など複数回、本人と一緒に出かける必要がありました。学校を休んだり早退したりして参加することになるため、説明なしというのも難しい状況でした。

 書籍やネットで情報を漁りましたが、ここにも答えはありませんでした。

 悩んだ結果、「お医者さんや先生たちが、⚫️⚫️(長男)のお話聞きたいんだって」という感じで説明しました。

 幼かったこともあり、長男は素直に受け止めてくれました。拍子抜けすると同時に、考えすぎても良くないなぁ、と感じました。

自宅でも始まったパニック――背景にあった“心の悲鳴”

 この頃の長男は、園や自宅で感情を爆発させて暴れることが増えていました。もともと学校と自宅では様子がかなり違う子でしたが、支援に向けて動き始めたこの時期は、自宅でも以前には見られなかった荒れ方をするようになっていきました。

 朝起きてから登園するまでのわずかな時間でも、ちょっとしたことで気持ちが崩れてしまうようになっていました。準備に以前の2倍、3倍以上の時間がかかることも日常となっていました。

 一度パニックになると言葉が出なくなり、おさまるまでに1時間以上かかることもありました。この様子を見ると、パニックの原因は一瞬の怒りだけではなく、何らかの特性によるものだと感じざるを得ませんでした。

 さらに、長男の“心の負担”につながる出来事がありました。当時の長男は、大人が自分について話していることを非常にネガティブに捉えていたようでした。先生が活動の様子を私に伝えてくれているとき、長男は遠くから不安そうに様子を伺うことがありました。

 意欲的に取り組んでいた発表会の練習を突然放棄してしまったり、大好きだった工作やブロックなどへの意欲が急に消えてしまったような様子も見られました。後になって知ったことですが、長男は「先生が自分のトラブルをママに伝えている」「ママが怒られているのかもしれない」と思い込んでいたようなのです。

 また、長男自身、カッとなって暴れてしまうたびに、冷静になった後で後悔や罪悪感を抱えていました。毎日、ジェットコースターのような感情の波に巻き込まれ、心も体も疲弊していたのだと思います。それがまた次のパニックの引き金となり、悪循環が始まっていました。

 ついには「自分が行くと迷惑がかかるから、学校に行きたくない」と自己否定的な言葉が出るようになり、自己肯定感の著しい低下が見られるようになっていました。

コロナ禍の一瞬のタイミングでの受診に救われる。

 福祉につながるまでの間は、霧の中を手探りで進んでいるような不安が常にありました。一方で、加配を目指すことになってからは、長男のために“できることを一つずつ前に進めている”という実感を持てるようになりました。

 また、タイミングにも恵まれました。市の巡回や加配審査会の時期が次年度への準備とちょうど合っていたことに加え、診断が予約の関係で遅れていた中でも、長男の困り感を重視して必要な場につなげていただけました。

 この頃はちょうどコロナ禍の第一波と第二波の合間で、巡回支援がわずかな期間だけ再開されたタイミングでした。さらにこども園の園長先生は、発達障害について大学で学んだ方でもありました。もし保育園から転園していなければ、新型コロナの流行時期が違えば、長男の困り感が見過ごされていた可能性もあります。

 そう思うと、年中のこの時期に医療や福祉につながれたことは、長男のその後の発育にも確かな影響をもたらしたと感じています。

 次回は、小児精神科での初診日のお話です。

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