こんにちは。hug-mamaです。
年が明けましたね。早朝の街の静けさはお正月ならではですよね。この雰囲気を味わうために、寒いのにベランダでぼーっとするのが好きです。
今年も平和で安全な一年となりますように。幸せな毎日を過ごしましょうね。
転園からの1年。長男の内面の変化も大きかった怒涛の中身。
前回までに、長男の成長に沿って医療・福祉とつながったところまでをお伝えしてきました。
今回は、その間の長男の内面の動き、周囲への特性共有についてまとめてお伝えします。
特にこども園へ転園してからの約1年は我が家にとって怒涛で、長男の内面の変化も顕著になっていました。
トラブル報告続出からの9カ月。我が子への理解を深める好機に。
次年度の加配保育士を配置してもらうための手続きには、医師による診断が必要でした。学校からのトラブル報告が増え、長男が困り感を抱えているかもしれないと私たちが認知してから、初診日を迎えるまでに約9カ月の期間を要しました。
当初、園からの呼び出しで日々の様子を聞いてからしばらくは、家での接し方を工夫したり、よく話し合うなどしていました。ただ、あまり効果はなく、トラブルはその後も続きました。
この頃のお便り帳には、連日トラブルに対する家庭からの謝罪の言葉が書かれています。今思うと、学校としては謝罪を求めていたわけではなかったと思いますが、この頃は私ができることは謝ることくらいしかないと感じていました。
ただ、市の発達観察を打診されてからは、少し変わりました。聞き取りなどで長男が生まれる前からこれまでの生育歴を何度も書いたり話したりする中で、長男への理解を深めることができたのです。
それまでは自分の子とはいえ、忙しい日々の中で「この子はどういう子だろう」なんてことを立ち止まって考えることは正直ありませんでした。だから、トラブル対応に追われたこの頃は、長男について、家族についてとことん考えるいい機会になったと思います。苦しかったけれど、今でも変わらない、我が家の軸ができた時期でした。
パニック時の様子と、おさまった後の長男の後悔。
医療・福祉につながるまでも、対応マニュアルがあるわけではなく、学校や市に何回も問い合わせしながら手探りで進めました。
ネットや書籍での情報収集も、専門用語で綴られる診断名やその特徴と、我が子の困り感が一致しているのかも判別させることが難しく、発達の凸凹が人により違うことによる迷いを抱えることが多かったです。
特に長男は小さい頃から育てにくさを感じたことがなく、通常のコミュニケーションも上手な方だと思っていました。熱中しすぎで話を聞けないことがあるのは「こどもだから」と思っていました。
一方で、年中あたりから学校では主にお友達とのトラブルが日常的に発生し、感情を爆発させ暴れることが多く見られるようになりました。
感情の波に飲み込まれている時の長男は、こちらが話しかけても全く聴こえていないようでした。瞳はどこか焦点があっていないような、意思の疎通ができていないことがわかる目をしていました。
ただ、時間がかかって落ち着いた時、長男は後悔と罪悪感を感じるようになっていました。「自分がおこりんぼだから、みんなに迷惑がかる」「だから学校に行きたくない」と話すようになっていたのです。
ある時、寝る前に二人きりで暗闇で話していると「神様のところへ帰りたい」といった言葉が出てきました。この時は本当に胸が締め付けられ、涙を堪えて抱きしめることしかできませんでした。
「二次障害」という言葉に目を奪われた日。
暗闇の中での長男の発言をショックを受けた私は、発達特性を持つ子どもがどういう成長をするかが気になりだしました。
色々な情報に当たる中で「二次障害」という言葉に目を奪われました。
発達特性を持つ子が成長する過程で周囲の理解不足や自己肯定感の低下を経験し、うつ病や不安障害などを発症することを言うそうです。
その時、発達特性を持っていることよりも二次障害になる方が、その子にとって困難が増すのでは、と想像しました。そして、そうならないように長男を育てたいと、強く思うようになりました。
特性があることは変えられない事実でも、それに起因して、生きづらさを増すようなことがあってはならない、と考えたからです。
本人らしく生きられるために親ができることはなんでもやる。私が長男を育てる上で常に優先する考えはここからきています。
家庭での「接し方」を変えた日。
それまで長男になんとか感情のコントロール方法を伝えようとしていた私は、この時からこれ以上長男の自己肯定感を下げないことを第一に考えるようになりました。
「あなたはそのままでステキ」「おこりんぼしたとしても、それはあなたのせいではない」「何があっても、愛しているよ」など言葉に出して伝え、何度も抱きしめました。
しつけに厳しかった夫とは、「長男はすでに多くのことで努力していて、家の外ではたくさんの注意を受けている。生きていくためのスキルは大事だけど、自分のことを大事に思う気持ちをまずは大切にしたい」「生まれてきてよかったと思ってほしい」と伝え、家での対処方法を修正しました。
もちろん、いついかなる時も本人の思う通りに過ごさせるわけではありません。人としてやってはいけないこと、大きくなるにつれ身につけていかなければならないことは、その都度きちんと伝え、挑戦させます。
このように家庭内のコミュニケーションを都度変化させることは、今に至るまで意識的に行っています。その結果、長男だけでなく家族全員にとって良い効果を生んでいると感じます。
家でパニックが少なかった理由は…
これまでに家庭では学校で見られるようなパニックなったのを見たことがなかったとお話ししてきました。その原因を探してみると、周りの対応の差が影響していると考えられました。
医療・福祉につながるタイミングで何度も行った学校との意見交換の際、自宅での対応の仕方を聞かれることがありました。何が苦手で、どんな声掛けをしているか。機嫌が良くない時の対処法などを聞かれることがありました。
その時は「急な切り替えを避ける」「本人のやりたい気持ちを一度受け止めてから区切る」といった関わりをしていることを伝えました。
客観的に伝えるためにまとめる段階で、実は家族の中では長男が過ごしやすい環境を作り、混乱しないような接し方をしていたことに気付きました。
家でないようなパニックが学校だけで起こっていたわけではなく、家では限界値を超えるパニックになる前に、それを避ける対処ができていただけだったのです。
さらに長男の「苦手」は学校で過ごす上では当たり前にできることが求められることでした。特に保育園から転園したので、カリキュラムの差による混乱もあったかもしれません。
言葉を重ねると悪循環に。普段とのギャップが生んだ誤解
当たり前ですが、家でも全てがうまくいっていたわけではありません。
長男は普段のコミュニケーションが上手な分、パニックになりかかっている時に大人の方がどうしても会話で解決しようとしてしまうことがありました。ただ、そういう時には大抵、状況はさらに悪化してしまいました。当初は私との関係でも、互いにヒートアップしてしまうことが多くありました。
時間が経って落ち着いた後で「さっきなんで怒ってたか思い出せた?」と聞くと、ほぼ思い出せません。「思い出せないくらいちょっとしたことで、こんなにお互いに疲れちゃって損したね」と笑い合うこともありました。
言葉がけを重ねることが事態を悪化させることは、その後も長男に関わる大人には繰り返し共有しています。ただ、一般的には「話して解決する」ことが最適とされる場面でも、長男にとってはそれが逆に事態悪化の引き金になることがあるため、理解してもらうのは簡単でも実践はとても難しいと感じています。
道半ばでも、信じていること
長男本人にとって、周囲の理解者がたくさんいることはこの先もずっと大切になると考えています。そのため、特性を隠すことはせず、必要な人には説明を尽くして理解を得るのが、私たちのやり方です。
こうした一連の対応を続けることで、長男の落ち込みは少し改善し、家での様子は落ち着いていきました。
ただ、その後も、医師らから自己肯定感の低さを指摘されています。長男が自分の特性を抱きながら自分らしく生きていく素地を作る試みは、まだまだ道半ばです。成長とともに、親が先回りして環境を整えることは難しくなっていくでしょう。長男本人が自分の状況を判断し対応できる力をつけることが今後の課題です。何度も壁にぶつかるでしょうが、きっとできると、信じています。
次回から、数回にわたって私自身のキャリアや家庭とのバランスの取り方などについてお伝えします。



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